早めに起きて、九州国立博物館へ。
今度の日曜日までの特別展『美の国 日本』を観に行った。
以前、平日休みを利用して『故宮博物院展』に行った際は、平日の午前中だったにもかかわらず、車を停めるのに1時間待ち、入場までさらに1時間半待ちだったので、今回は開館直後狙い。駐車場には待たずに停められ、入場口も閑散としていたので、かえって拍子抜けしてしまったけれども。
時間が早かったからなのか、海外の有名作品の展示に比べると、集客力が落ちるのか。
まあ、11時過ぎくらいに会場を出るときには、子供たちもけっこう大勢来ていて、「早めに来てよかった」と思うくらいの賑わいにはなっていたのだけれど。
会期中の前半に公開されていた正倉院の宝物を観られなかったのは、ちょっと残念でもあった。
この『美の国 日本』、古墳時代から鎌倉時代までの日本の土器や仏像、仏画、装飾品が多数みられるのだが、国宝、重要文化財クラスがズラリと並んでいて、観ているうちに「なんだ、国宝じゃなくて、重要文化財なのか」という、不遜な気持ちがわき上がってくるくらい。
神護寺の釈迦如来像(「赤釈迦」と呼ばれているらしい)や十一面観音像。法隆寺の多聞天立像。
いちばん印象に残ったのは、東大寺所蔵の「重源上人坐像」だった。
なんというか、ほんとうに「こんな気難しそうなおじいちゃん、いるよなあ」というリアルさで、なぜ「聖人」を美化せずに、こんなに写実的な像をつくったのか?と。
即身仏なんじゃないかと思ってしまうような存在感だった。
とりあえず、空いている美術館というのは、良いものだよね。
仏像が並んでいる部屋にいると、なんだか自分のほうが観られているような気分になってしまうけれど。
そして、「書」はやっぱりよくわからない、ということを再確認。
最澄の自筆、というようなものを見ると、上手い、というより、丁寧な字だなあ、とは思うのだが。
そして、最後のほうでスペースが足りなくなったのか字が小さくなって間隔が詰まっているのをみて、少し親しみを感じてみたり。
本人は、きっとこの手紙がこんなふうに未来の人たちに見られるなんて、思っていなかったのだろうな。
ラーメンを食べて帰宅し、昼寝をしたり、本を読んだり、DVDを観たりして過ごした。
25時に就寝。
参考リンク:重源上人坐像(画像)